2017年の邦楽シーンを振り返る
もはや流行なんてない
私が選んだ今年のベストアルバムです。(オザケンとハバナイがシングルなのは目を瞑ってください。)
この9枚それぞれにトピックがあって、ここにないアルバムも踏まえつつ今年を勝手に振り返っていこうと思います。
ストリーミングサービスの普及
音楽に限らず、映画や漫画、本などすべての芸術は時代を写すものとして機能しますが、tofubeats ”FANTASY CLUB”は見事に2017年を写しました。
なかでも今年最もショッキングな楽曲となった”SHOPPINGMALL”の歌詞によく表れています。
何かあるようで何もないな
ショッピングモールを歩いてみた
最近好きなアルバムを聞いた
とくに 話す相手はいない
Apple StoreやSpotifyなどのストリーミングサービスが普及し、音楽をアルバム単位ではなく曲単位で聴く文化が台頭しました。
ここからドレスコーズやOKAMOTO’Sは消費される音楽についてアルバムをリリースしていきます。
消費される音楽
盟友であるドレスコーズとOKAMOTO’Sはこのトピックについて機敏に反応しそれぞれアルバムをリリースしました。
ドレスコーズの”平凡”はこれまでのドレスコーズの音楽からは全く予想できなかったファンキーさと、志磨遼平特有の歌謡曲っぽさで多くの話題を生みました。
“平凡”については以前の記事で詳しく触れていますのでそちらを参照ください。
ストリーミングサービスのしわ寄せはもちろんアーティスト側にとっては大きなものとなりました。リスナーは次々アップロードされる音楽に必死についていこうとし、消費と生産がただただ繰り返される。
OKAMOTO’S ”NO MORE MUSIC”もドレスコーズと同じくこのトピックについて触れ、ロックンロールからポップスに至るまで多岐にわたる楽曲で世の中に大きな疑問符を突きつけました。
しかし皮肉なことに”平凡"と”NO MORE MUSIC”はここでも時代に消費されてしまいます。
どっちが良いなどはありませんが、ドレスコーズやOKAMOTO’Sが現状を描写したのに対して、サニーデイ・サービスはこれにいち早く対応しました。
”Popcorn Ballads”はストリーミングサービスがとっくに身近となった海外では珍しくないプレイリスト形式のアルバムでした。
これについては以下のインタビューに詳しいです。
空は澄んでいた
この街に何年か住んでいた
スーパーの安売りのような景色のなか
スーパーの安売りのような景色はこれからも音楽シーンのなかで続くでしょう。
J-POPの行き先
昨年日本で最も流行した曲は星野源の”恋"でした。彼はこのシングル以前に”YELLOW DANCER”をリリースし、長らく低迷していたJ-POPを再定義しました。
そして今年帰還したのが小沢健二とPUNPEEの2人です。
尋常じゃない情報量と、それをするりと躱すようなメロディの”流動体について"は、彼が渡米した1998年以降J-POPというあやふやなものに耳が慣れてしまったリスナーに大きすぎる衝撃を与えました。
ほの甘いカルピスの味が現状を問いかける
彼はその後SEKAI NO OWARIとコラボし、若いリスナーへもアクセスしていきます。
40年先の自分がアルバムについて振り返る、というアイディアのもと構成されたPUNPEE ”MODERN TIMES”もまた多くのリスナーを魅了しました。
高田兄弟にしか成せない独特の発音で日本語ラップを更新していきます。
実はここには昨今のフリースタイルダンジョンブームやヒップホップ論にも繋がると思うのですが長くなるので割愛します。
ヒップホップという音楽のなかではヨコの繋がりが重視されますが、PUNPEEは楽曲のなかで同志たちについてこう触れています。
別に俺なんかいなくてもね
小沢健二とPUNPEEの両者をこのように並べて記述したのは、彼らの中のヨコへの意識というものが一致していると思ったからです。
彼らが来年以降もJ-POPに影響を与え続けるのは間違いないでしょう。
女の子が鳴らすロックンロール
大森靖子が2015年に”マジックミラー”のなかで
どうして女の子がロックをしてはいけないの?
と歌ったのは2年後の今年2017年よくやく昇華されました。
ロックンロールを作ったのも遊んだのも壊したのも全部男の子でした。
そこを優しく、丁寧に、しっかりとした重みのある積み木を積んでいくようにして彼女たちはロックンロールを女の子のものにしたのではなく、男女なんて境界線を溶かして全く輪郭のないものにしました。
MUSICの語源はそもそもミューズ、つまり女神から来ているのですがここでも音楽をまた一歩進んだものにしたのは女性だったということです。
CHAIは今年最も躍進したインディバンドと言っていいでしょう。彼女たちはコンプレックスを肯定し、女の子のみならず多くのリスナーに新しい価値観を与えました。
柴田聡子は自身のプレイスタイルを全く変えずにフォークソングの良さを音楽シーンのメインロードにまで提示しました。彼女に関してはとにかく歌詞がよくて「いい歌詞を書こう」と思っているうちは柴田聡子よりいい歌詞は書けないと思います。
きのう名前を変えたよ
きっちり外国風のに
あかいソファが届くよ
畳に置いたら変かな?
おみやげ何にも買ってこないで
いい匂いだけで帰ってくる
お母さんも知らないような香り
そして大森靖子は2017年も世界とぼこぼこに殴り合って、ぼろぼろになってもそれを音楽にし続けました。
彼女の元来の魅力はハミングバードのアコースティックギターをこれでもかと搔き鳴らし情緒的な声色で歌うことにあると思いますが、その手法を2017年現在に合うように作り変え過去曲たちを歌い直したのが”MUTEKI”というアルバムでした。
また、冒頭に添付した9枚のアルバムからはもれてしまいましたが、 女王蜂の”Q”も今年を代表するアルバムでした。
アヴちゃんはYouTube上でこのアルバムについて語っています。
「”Q”という曲を守るようにしてアルバムを作った」
“Q”という曲はほんとうに強力なエネルギーを秘めていて、一度聴いた人の心に大きなトラウマを植えることでしょう。そんな曲はそうそうないです。
ガードレールのそばに落ちた
赤く濁ったビニール袋の中身は
上手に愛されなかった心だったもの
これはもう何年も前のインタビューに書いてあったことですが、女王蜂はもうLGBTだとかただの物珍しさで有名になるバンドではないのです。
これは僕の希望的観測ですが、女王蜂は、アヴちゃんは長らく席の空いたロックンロールスターの座に座り、日本を代表するバンドになったら、、なんて素晴らしいことだろうと思うのです。
長らく席の空いたロックンロールスターの座
2017年はあのロックスターたちが帰って来た年でもありました。
りょーめーは爆弾ジョニーの活動を本格的にし、今年はライヴ盤を含めて3枚のアルバムをリリース。ライヴも積極的に行い、バンドの状態は著しく良くなりました。
古舘祐太郎は2としてまた小さなライヴハウスから再スタートを切りました。今年リリースした”VIRGIN”というアルバムはどれも曲の長さが短く時代のニーズをうまく捉えたものでした。
小山田壮平はALとして帰還し、来春に2枚目のアルバムをリリースする予定です。
でも、どうでしょうか。
あの時の爆弾ジョニーのファンは、THE SALOVERSのファンは、andymoriのファンは、彼らにノスタルジーを捨て切ることができたでしょうか?
2017年はもう1人帰ってきたロックスターがいました。
初代閃光ライオット優勝、Galileo Galileiの尾崎雄貴です。
彼はwarbearとして活動を再開し、同名の”warbear”をリリースしました。
このアルバムは他の日本の音楽と全くテイストの違う、ある種洋楽っぽいアルバムとなっています。ここには尾崎自身が北海道出身だということは大きく関わっていると思います。
ノスタルジーを捨て切るということを、14曲の新曲によって成し得たのです。
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ここまで9枚のなかから、8枚とそのアーティストを軸に2017年を語っていきました。
最後の一枚がHave a Nice Day!の “Fantastic Drag”です。
これについては別に書きたいのでまたアップされたらそちらを参照していただければと思います。
The Third Summer of Loveは東京に
という内容です。
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もはや流行なんてない
これで終わりになります。4500字近く読んでくれた方ありがとうございます。感謝します。
2017年はほんとうに混沌とした年になりました。ゆえにここまで書くのはタイヘンでした。
このブログで触れられなかったのですが、他にも書きたかったことがあるので簡単にですがいくつか紹介させて頂きます。
GEZANやSEVENTEEN AGAiNはNOT WONKなどキリキリヴィラを引っ張りパンクバンドとして大きな道しるべになったと思います。
混沌としたシーンの中でもodol / Tempalay / ドミコ の3組は若手ながらに異彩を放ち来年以降気になる存在になりました。
これは敢えて「長らく空いたロックスターの座」のなかで触れなかったのですが、銀杏BOYZがリリースした三枚のシングルはどのタイミングをとってもキラキラと輝いていました。音楽を(勝手に)批評する立場として邪道なことは承知していますが、彼らに対して「よかった」とか「格好良かった」なんて稚拙な表現を用いてもあなたに伝わると信じています。
台風クラブと思い出野郎Aチームがそれぞれリリースしたアルバムはどちらも、日本語ロックリバイバルとなり、日本のダンスフロアのあり方を提示したものになったと思います。
これでほんとうに終わりです。ありがとうございました。
私はこうおもう!とか、いやこうだろ!!みたいなのがかれば是非コメントなりリプライなりしてください。
そういう楽しみ方がしたいです。
志磨遼平は捕まえられない。
志磨遼平は
捕まえられない。
私たち音楽リスナーというものは、意図せずしてそのバンドやアーティストに対して"イメージ"というものを持っている。
今回発売されたニューアルバム"平凡"
その初回限定版のAタイプに付属されているライブ映像"12月24日のドレスコーズ"のなかで
まだ髪の長い志磨遼平はこう歌った。
もしも 私があなたの好きな この長い髪切って
誰かの為に変わってしまっても 愛しているの?
これが伏線だったのか、彼は長い髪を切った。
そんな"イメージ"を毎年毎年裏切って来るのが志磨遼平。
正直に言って、今日本で最もエキサイティングなバンドなのではないだろうか。
ドレスコーズ改め、志磨遼平。
つまり概念、そして流動体のような。
2012年の元旦には高円寺U.F.O.にて「ドレスコーズ」としてライブ。
そして2014年には志磨遼平以外のメンバーが全員脱退。
彼はこのことについて次のように語っていた。
「CDを作るときに、僕は僕だけのメッセージじゃなくバンドメンバー全員のメッセージを組み込まなくてはならなかった。」
その後アルバム"1"を発売。
そのリリースツアーとして“Don’t Trust Ryohei Shima"を敢行。
このツアーファイナルには私も観に行ったが、あれこそまさに事件であった。
“Don’t Trust Ryohei Shima"のツアータイトルにふさわしく一曲目から毛皮のマリーズ時代の曲を連発したかと思えば、最新曲も演奏し、、と。
自身の膨大な曲のなかから、時系列など関係なく洪水のように演奏した。
そしてそのライブ中に演奏した楽曲のなかで 一貫していたのは"ひとり"というテーマだ。
それはまさにやりたい放題で、日本で志磨遼平ただ一人がなせる業であった。
ドレスコーズ - 「愛に気をつけてね」 from “Don't Trust Ryohei Shima" TOUR 〈完全版〉
そして2017年3月"平凡"を発売。
バケモノ的アルバムに仕上がっている。
このアルバムの構成をざっとまとめると
1~3曲目でリアルタイム、日本の現状を写実的に歌い、
4~6曲目でそのセカイでも「ダンスを踊ろう」と、
そして最も難解なのが7~11曲目。
志磨遼平自身はインタビューの中で、今作についてこう語っている。
俯瞰という感じ。自然とそうなりますね、やっぱり。だからメッセージではない。「の、ようなもの」ですよ。僕は一切、現状を悲観もしてないし、べつにそこに危機感を抱いてないし。抱いてるのは自分の創作。リズムとかね、ビートとか、そういうものにだけであって、自分がただ流れていくことに危機感はあるけれど別に世を憂いてもないし。だからこれを聴いて「みんな、目を覚ませ」みたいなことは1ミリも思わないですよ。
うーむ。難しい。
実に難解で、実に奥深い。
しかし今作の素晴らしいところ(というかドレスコーズ作品に共通して言えることではあるが)楽曲の完成度が本当に高い。
故にこのアルバム、リスナーがなんのメッセージを汲み取ろうとしなくても十二分に楽しめるし、
私のような捻くれたリスナーが聴いても底なし沼のようにどっぷり浸かってしまう。
もしかして、これが志磨遼平の狙い?
私たちはまた彼の術中にかかってしまっているのだろうか。
毎年アルバムを出す彼はインタビューのなかでこう語る。
志磨:さすがに、ちょっとそういう状況に戸惑いを覚えて。去年、デビューしてから初めて「今年だけ、ちょっとアルバム出すのは止めてみていい?」って自分から相談したんです。僕は音楽を作るのが大好きだし、アルバムを作るのも大好きだから、出そうと思えば出せるんですけど。
―はい。志磨さんが言うその言葉が虚勢でないことはよくわかります。
志磨:でね、そういうことに疑問を感じているミュージシャン、バンドマンは僕だけじゃないと思うんですけど、一度、徹底的にその仕組みについて考えてみたんですよ。で、出た答えは簡単でした。
―その答えは?
志磨:アルバムを出さないと忘れられる。
―なるほど。
志磨:僕も、そうやっていくつものバンドを忘れてきたからわかるんです。
前述した通り、"平凡"はとても息の長いアルバムに仕上がっている。
私はふと中学生の頃にエヴァを見たときのことを思い出した。
考察サイトを漁り、アニメ映画漫画と何周もし、、。
あのときの楽しさが今の自分に蘇っている。
消費消費、「アートの洪水」が巻き起こってる現代に
最も大きく、最も重たく、最も息の長い記念碑のような作品を彼は作り上げたのだ。
そしてオリジナリティーがなんだ/オマージュがなんだ言われる今の時代に対する作品という意味で、音速で優勝台に立ったのである。
天才バンドに観るロックンロールの一つの正解
それは、バンド自身が心から音楽を楽しんでいること。
家のテレビでyoutubeを観ていたところ、星野源の大ファンでもある母が食いついて以来、天才バンドのライブには親子二人で行くようになった。
あまりにも有名なのがこの曲
ずっとずっと君が好き
誰かの彼女になりくさっても
ずっとずっと君が好き
今頃誰かと暮らしてても
もう君の髪にはふれられないよ
夜中の電話もできないよ
今頃どうしてるのかな
やさしい人に出逢えたかな
君には君の日々があり
僕には僕の日々がある
君には君の歌があり
僕には僕の歌がある
素直な歌詞だ。素直すぎる。
そして誰かを好きになった人なら、誰もが思ったはずの
ずっとずっと君が好き
誰かの彼女に、"なりくさっても"
こんなに素直で、可愛らしくって、人間くさくて、ワンダフルな歌なのだから、
あんなに素直で、可愛らしくって、人間くさくて、ワンダフルな奇妙礼太郎によく似合う。
天才バンド
・奇妙礼太郎(vocal/guitar)
・Sundayカミデ(chorus/piano)
・テシマコージ(drums)
アニメーションズや奇妙礼太郎トラベルスイング楽団に参加しており、「こんだけ世の中にいっぱい曲があるのになんで俺が作らなアカンねん」と思っていた奇妙礼太郎
しゃかりきコロンブスやワンダフルボーイズに参加しており、小学5年生のときには金髪でタバコを吸いながら原付に乗っていたなど数え切れないほどの逸話を持つSundayカミデ
パワフルなドラミングと、このバンドがバンドであるうえでとても重要な役割を果たしているテシマコージ
この三人がまさに天才的なタイミングと何かの巡り合わせで結成されたのが天才バンド
多くの曲の作詞作曲はSundayカミデが担当している。
このバンド、とてもバランスがいい。
それは音楽的なこともそうだけれど、人間的な相性がとても良い。
ゆえにライブでは楽曲の最中にいきなりコントのようなものが始まったりと、お客さんを笑わせる悪ノリが満載。
先日、恵比寿リキッドルームで行われた天才バンド東名阪ツアー、ファイナル公演では
一曲を終えた奇妙礼太郎が「ありがとう」と手をかがげていると何を思ったか
「みんな!俺の手を観て!みんなで俺の手を観て!」
しばらくなんとも言えない空気が流れ、
「心なしかパワーが集まってきた気がする!腕が疲れてきただけかもしれないけど(笑)」と観客の笑いを誘うと、
Sundayカミデが「じゃあ奇妙くんその手でやばいギターソロいっちゃって!」と言いギターソロへ。
そんな具合で天才バンドのライブは進む。
即興ソングを作ってみんなで歌ったり、Sundayカミデからテシマコージへのダメ出しが始まったりともうめちゃくちゃ。
しかし、終始会場にいる、バンドメンバーもお客さんも、そしてスタッフも笑顔のあれこそが、ロックンロールの一つの正解だと私は思う。
しかし、ただ悪ふざけや悪ノリでお客さんを笑わすだけじゃないのが天才バンド。
天才バンドのライブはテシマコージのドラムソロから始まる。
そこで観客をドラミングとともに一気にぶち上げ、Sundayカミデと奇妙礼太郎がステージにでてくる。
「ぶっこわれるぞー!!」
という奇妙礼太郎の掛け声とともにライブスタート。
テシマコージのドラムは天才バンドのライブにおいて非常に大きな役割を果たしていると、私は思う。
(難しい話になってしまうけど)
メロディとリズムの違いとして、
メロディは、知っていれば知っているほど気持ちのいいものだけれど、
リズムは、人間そのものに元々組み込まれているものだから
初めて聴くリズムでも、それが心地よいならその音楽とリスナーの気持ち良さの関係は成立してしまうと思う。
その理論からいくと天才バンドというのは、
テシマコージによるパワフルで抑揚のあるドラミングによってまず観客の心と身体を掴み、
そこからSundayカミデによって作られた、他にはないけれど何故か懐かしく親しみやすい、とにかく完成度の高いのメロディを、
奇妙礼太郎という日本のロックシーンを代表するシンガーが歌うことによって
天才バンドを天才たらしめている。
彼らの魅力はライブにある。
間違いない刹那性を秘めたロックンロールバンドであり、曲だけが一人歩きするようなバンドとして捉えられていたら勿体ないのだ。
最後に天才バンドの楽曲から"ロッケンロールベイベー"のライブ映像を貼っておくので、読者の皆さんには是非観ていただきたい。
そして彼らのライブに足を運んで、笑って、泣いて、歌って、(酔って、)大満足して帰ってほしい。
ロッケンロールベイベー
青春を過ごしたのさ
君とただ過ごしたのさ
悲しいくらいときは過ぎた
君は綺麗なママになってた
ロッケンロッキン
ロッケンロールベイベ
今日もロックを聴くのさ
君が嫌いだった
ロッケンロールミュージック
ロッケンロッキン
ロッケンロールベイベ
今日もロックを弾くのさ
27歳のロッケンロールミュージック
tetoが"2017年注目のバンド"に終わらない理由
tetoと出会ったのは2016年の6月。高校三年生。受験期。自分で決めた「受験前最後のライブ」も見終えて、勉強に超集中する予定だった。
でもやっぱり日々勉強のストレスとか、それまで感じていたはずのライブハウスのあの感じとか、そういうのが足りなかった。
そんな時期に、もともとあるイベントを通して知り合い?になった現tetoメンバー、ギター兼ダンサーの山崎さんから「新しいバンドに入ったから良かったら聴いてみて!」と連絡。
それがteto。
今でも忘れない、塾から家まで帰る東急大井町線のなかでtetoを聴いた。
まさにボーカルが歪んでた。ギターを歪ませるのと一緒で。
それから、高円寺でライブがあると聴いて急いで駆けつけた。「受験前最後のライブ」の約束はすっかり忘れて。
一言で表すならそれは爆発だった。
上に載せた画像の中で書いた通りtetoは
「ロックンロールでロックンロールと戦い、
それはさながら何かに対しての怒りであり、
それはまた快楽であって、犠牲だった。
ライブ中ボーカルの声は、素人でもわかるくらい喉を痛めつけているし、ギターのピックガートに血が塗れていることだってあった。
最近の邦楽ロックと、それを殺すtetoと - BASEMENT-TIMES
初めてN'夙川ボーイズのライブを観たときを思い出した。
"死神DANCE"という歌のなかでマーヤLOVEは何度もステージに転げ落ちた。
それを観ていると、うまくは言えないのだけれど、自分のなかのモヤモヤをマーヤさんが代わりになって昇華させているようで、涙が止まらなかったことを今でも強く覚えてる。
tetoは間違いなく、爆音で聴かれることを前提とした音楽、で
だからこそライブ中にステージを観ずに真下を向いて頭を振る私のようなオーディエンスがちらほらいるのだと思う。
あの瞬間がこの上なく気持ちがいい。
合法で1番トベるのが音楽ならそれはtetoなんだ。
そのステージングや音楽への向き合い方は、毒を吐くイメージが強い石左氏や忘れらんねえよの柴田さんも絶賛。
はたしてtetoは破滅の音楽なのだろうか。
tetoはしばしば「銀杏BOYZ、andymoriの再来!」という文句と共に紹介されるが
これは彼らが音楽的に、銀杏BOYZやandymoriに"似ている"というわけではない。
たしかにこの3バンドがルーツとしている音楽は、おそらく似ていてゆえにリスナー側にも同じような印象を持たせる。
しかし、もっと"似ている"ところがある
それは究極的な普遍性だ。
この3組に共通するのは究極的、恐ろしいまでの普遍性。
人間であるなら誰もが持ち得るモヤモヤやイライラ。
この2つを峯田和伸と小山田壮平、そしてtetoのボーカル小池貞利は純度100%のレベルで音楽にしている。
だからこそ、とても犠牲的で刹那的で、誰もが持ち得るという意味で普遍的なのだ。
tetoは"2017年注目のバンド"に終わらない。
これから間違いなくライブキャパシティを増やしていき、銀杏BOYZともandymoriとも違う道、違う形で日本のロックシーンの最も輝く場所にたどり着くだろう。
今この記事を読んでいる人は「ラッキー!」と思ってtetoのライブに足を運んで欲しい。
そしてtetoと自分だけの、1対1の音楽に、喧嘩や対話や慰めとも言える音楽的衝動を感じて欲しい。
音源は以下の通り↓
Pain Pain Pain - teto - YouTube
teto by User 709061351 | Free Listening on SoundCloud